2016年御翼4月号その2

犠牲愛は祝される

 

 人生の素晴らしさは、まだ知られていない宝を探し出すことにある。それは、科学や医療、信仰の世界など様々な分野に及ぶ。そして、最も期待していなかったところに賜物は隠されている。神の姿に似せて創られた私たちには、魂がある。聖霊が魂に働くことによって、人は人格すら変えられる。自分を傷つけた者を赦せる人となれる。永遠の命への確信が得られる。自己中心ではなく、愛を分け与えることができる人になれる。助けを必要としている人たちに手を差し伸べられるようになる。これらが、隠された宝である。人生で価値あるものは、富でも名声でもなく、土地や財産でもない。希望と喜び、情熱と勇気を持ち合わせた人格である。キリストを受け入れることで、全てが変えられる。キリストへの信仰を持つ目的は、イエス様に従う者となることなのだ。
 米国ペンシルバニア州に住む若い男性がある晩、車で家に向かっていた。当時、不況の真っただ中で失業率が高く、彼も無職だった。古いぼろ車を運転していると、先の方にメルセデス・ベンツが立ち往生しており、老婦人が立ちすくんでいた。男性は車を止め、汚い服装のまま、老婦人に近づく。彼女は恐怖を感じた。「どうかしましたか?」「パンクしたんです」と婦人が答えると、  「寒い上、雨も降り始めました。どうぞ車内にいてください。トランクを開けてくれませんか。ジャッキがあるはずです」と男性に言われ、彼女はそのとおりにした。が、車内で待機している間、作業が終わったら何を要求されるだろうかと心配であった。男性はジャッキで車を上げ、スペアタイヤに交換し、作業を終えると、「ありがとうございました」と老婦人に言う。「いいえ、お礼をいうのは私の方です。何をして差し上げればいいですか」と尋ねる老婦人に、「何もしていただかなくていいんです。あなたのためにタイヤを交換して差し上げただけです。あ、でも一つだけ、していただきたいことがあります。次に誰か困っている人を見かけたら、何かできることをして差し上げて下さい。そしてそのとき、私のことを思い出してください。私はブライアンと言います。この街ではブライアンという男は私しかいません。私を思い出してくださるだけでいいです。このブライアンを」と彼は言って立ち去った。
 老婦人は感動し、手を振ってさよならを言い、見知らぬ街を走り出した。既にあたりは暗くなり、お腹もすいたので、道路沿いの小さなレストランに入った。すると、ウェイトレスが一人で働いていたが、彼女は身重で臨月に近いようだった。それでも、一日中働き続けていたようで、疲れている様子だったが、遅くまで働かなければならないのに、愚痴もこぼさず注文を取り、快く応対してくれた。食べ終わった頃、ウェイトレスは勘定を持ってきたので、老婦人は100ドル札を手渡した。ウェイトレスはおつりをとりに奥に行き、戻って来た時には、老婦人は既にいなかった。そして、ペーパーナプキンにこうメモ書きがあった。「おつりはいりません。つい先ほど、ある人が私にとても親切にしてくれて、彼は、『誰か困っている人、落ち込んでいる人を見かけたら、愛を分け与えてください』と言ってくれたのです」と。そして、メモ書きの下に100ドル札が4枚置いてあった。
 ウェイトレスは涙を流し、店じまいをして帰宅した。夫は既に疲れてベッドで寝ていた。彼女も就寝の用意をしてベッドに入ると、夫を起こさないようにそっとキスをして、言った。「あなた、もうこの子が生まれてくるときの出産費用は、心配しなくていいのよ。心配しないで。愛しているわ、ブライアン」と。

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